いざ駄文雑文を書こうってなると困る…みたいなことは言ったけども、実のところ、頭の中にはなんかしら話題はいつでもあるんだよ。
ただほら、タイミングってあるじゃん。あるいは脈略、みたいなものがさ。
「なんでいまその話?」という話題のチョイスはその時点でスベった感があるというか。
いや、いいんだよ? 脈略なんかなくたって。
べつにニュースでもなけりゃ時事ネタを扱いたいわけでもないんだから。話題の鮮度なんか気にする必要ない。令和に昭和の話を唐突にはじめって誰に怒られるわけでもないんだけどさ。
でもま、令和に昭和の話をするよりは、令和には令和の話をするほうが、聞く側は入りやすいかなって。
あと、同じ文章であっても「そのとき」出すか「後から」出すかで、文章の持つ質が変わってしまうというのがある。
えーとほら、たとえばミステリの進行中に犯人を推理するのと、解決編の後に犯人を指摘するのじゃまったく違うよね。前者はたとえ推理が外れていたって、内容如何では価値のある文章たりえる。対して後者はまさに後出し孔明ってやつで、なんか特別な事情がないかぎり滑稽でしかない。
正しいか間違っているかということ以上に、そのとき語るかどうかというのが重要ってことがあるんだよな。
単純に、語り尽くされたあとから満を期して登場するのはハードル高いという話でもある。
ぼく日頃思ったことを色々と書き留めておくメモみたいなファイルがあって、もう何年前から書き溜めてるかわからんのだけど。
それを読み返すとさ、どっかで公開しようとしたままタイミングを逃して実質お蔵入りになってしまった文章の死骸がたくさん見つかるんだよね。書いてある事自体は今のぼくが読んでも(贔屓目かもしれないが)なかなか面白いものもあったりするのに、時期を逸していて今さらこれを語ってもなあという無念の文章群。我が事ながらちょっと惜しいなと思うわけです。
だから、ここではできれば「そのとき」を優先して話題にしたい。
「そのとき」っていうのは、たとえば必ずしも世間で話題になってるそのとき、という意味ばかりでなくてもいいんだ。だけど、話題にするなんかしらの脈略、少なくともぼくにとっての必然が欲しい。
その必然が、どうしようもない駄文雑文に、いくばくかの熱や質を与えてくれるんじゃないか…っていうオカルトを信じているわけですよ。
だから。
ぼくのなかでの必然さえ成立すれば、令和に昭和の話をするのも悪くない。いや昭和の話とくに思いつかんけど。
ようは自分でタイミングに納得さえできれば「いまさら?」という古い話も、「もう?」っていう先の話もできるってことで、逆に言えば納得できないとあんまり話題にしたくない。話のネタ自体はあったとしてもね。
そんなの自分で勝手に納得しちゃえばいいじゃんって言われたら、そうなんだけど。
これがなかなか簡単にいかない、面倒くさい自意識なので。だからこんなまどろっこしい駄文を書いてるんだよ。いちいち自分に言い訳をしないと一文字だって書き進められない、そんなふうになっちゃったからここで今こうやってリハビリしてるわけだしな。今さら何を、って感じだ。
なので次回はできるだけ「そのとき」を感じるHOTな話題で駄文を書きたい。
なんならtwitterでバズってるような話題。もうそういうのにも乗っかれるときは乗っかる。
なんというか。
あとから「もっともな」事実を語るより、いま「もっともらしい」デタラメを語るほうが楽しいにきまってるからな。
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